てっさんの聞こえるひとりごと。
ノエルを飼い始めた頃.。
僕等のために夕食の仕度をしてくれている妻を横目に、いつもと変らずソファーの周りをノエルと走り回りながら、大はしゃぎしていた。
普段ノエルの手入れをするところは、マットを敷いてあるのだが、それ以外の場所はフロアー仕上げのままになっているためよく滑る。
僕を追いかけてくるノエルを、ちょっとフェイントでかわすと、無理に着いてこようとしたノエルが脚を滑らせ、その場でコロンと転がってしまう。
そんなノエルの姿を見ながら、僕は何度も手を叩き,腹を抱えて笑っていた。
その時に気が付いた。
「30過ぎて、何を今更,犬とはしゃいているんだ!」
・・・。ということにではない。
何に気兼ねすることなく”思いっきりはしゃげている”ということにだ。
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このブログの、はじめの挨拶にも書いたが、基本的には前向きな性格である。
もちろん、落ち込むこともこともあるが、そう何日も引きずることは先ず無い。「なせば成る、なさなそうでも、なんとかする。」というのが、僕の考えだ。
我が姉妹には、「単に反省が足りないだけなのでは?」と言われたこともあるが、僕はこの性格が大変気に入っている。
”こんな性格になった、要因は何なのか”
以前真剣に考えてみたことがある。自分でも「なんで一々そんなことを真剣に考えるかなぁ~」と思うのだが、考え出すと止まらず、意外と楽しくなってきてしまった。
そうして行き着いた答えは、やはり”あの両親のせい” ・・・じゃなくて”おかげ”なのではではないか?という事だ。
父は”段取り八分”と”有言実行”を絵に描いたような人。決めたことはやり通すが、決して無鉄砲な事はせず、一つ一つを確実に進めていく。正しいことは正しい、ダメなものはダメ”そこに一切の妥協は無い。
物事を前向きに捉えられる人間でなければ、現実に押しつぶされて、とてもこんな生き方は出来ないだろう。
少し大げさかも知れないが、常に信実と成長を求めるそんな父の姿は、僕の子供の頃からの目標であり、未だ越えられない大きな壁でもある。
そういう父の背中を見つづけてきたから、自然とこの性格になったのではないかと思う。
もうひとつ、要因がある。多分こちらの方が大きな要因だ。そう、それは母だ。
もちろん、落ち込むこともこともあるが、そう何日も引きずることは先ず無い。「なせば成る、なさなそうでも、なんとかする。」というのが、僕の考えだ。
我が姉妹には、「単に反省が足りないだけなのでは?」と言われたこともあるが、僕はこの性格が大変気に入っている。
”こんな性格になった、要因は何なのか”
以前真剣に考えてみたことがある。自分でも「なんで一々そんなことを真剣に考えるかなぁ~」と思うのだが、考え出すと止まらず、意外と楽しくなってきてしまった。
そうして行き着いた答えは、やはり”あの両親のせい” ・・・じゃなくて”おかげ”なのではではないか?という事だ。
父は”段取り八分”と”有言実行”を絵に描いたような人。決めたことはやり通すが、決して無鉄砲な事はせず、一つ一つを確実に進めていく。正しいことは正しい、ダメなものはダメ”そこに一切の妥協は無い。
物事を前向きに捉えられる人間でなければ、現実に押しつぶされて、とてもこんな生き方は出来ないだろう。
少し大げさかも知れないが、常に信実と成長を求めるそんな父の姿は、僕の子供の頃からの目標であり、未だ越えられない大きな壁でもある。
そういう父の背中を見つづけてきたから、自然とこの性格になったのではないかと思う。
もうひとつ、要因がある。多分こちらの方が大きな要因だ。そう、それは母だ。
僕は、プランニングをしていく上で、”会話”というものを大切にしている。
時には脱線してしまうこともあるが、何気ない”会話”の中にこそ、良いプランニングへのヒントが隠されていると信じているからだ。
「無くて七癖」というわけではないが、会話の中で、幾度となく繰り返し語られる事柄があり、そこにはクライアント本人も、当たり前過ぎて気付かないような”幸せの種”が意外とたくさん眠っているものである。
僕はその”幸せの種”こそ、良い家創りのために、大切に育てなければならないものだと思っている。
当たり前のものが当たり前にそこにある、まるで空気のような当たり前の”幸せ”は、無くなると意外と息苦い。
僕自身、昨年末に引越しをし、4年間住んでいたアパート暮らしと、生活スタイルが少し変っただけで、なんとも言い表せない不便さを感じた経験をしている。「一軒家に住んでいて、何を贅沢なことを」と自分でも思うが、なかなか馴染めずにもどかしかった。
「当たり前」と言うのは、本当はありがたいものなのだと思う。
でもこれは素敵に飾られた世界では到底見つけることの出来ないもので、目立たず、ごく自然な流れの中にしか存在しないものである。
もっと言えば、素敵な飾りを素敵だと素直に感じれるのは、それを飾ることの出来る壁が、当たり前のようにそこに存在しているからなのである。これが無ければ、飾りを愛でることはおろか、雨風を防ぐことすら出来ない。
僕が思う”幸せの種”とはそんな”壁”の存在のこと、それがあってこそ次の幸せが生まれてくる。
クライアントとの打ち合わせの中で、その種を探し出し、しっかり守っていくのも、設計士としての僕の大事な役割だ。そして、それを見つけるのは”会話”しかない。
繰り返しになるが、だからこそ僕は何気ない”会話”を大切にしている。
笑顔で語られる日常の”会話”の中にこそ、”幸せの種”が眠っているから・・・。
時には脱線してしまうこともあるが、何気ない”会話”の中にこそ、良いプランニングへのヒントが隠されていると信じているからだ。
「無くて七癖」というわけではないが、会話の中で、幾度となく繰り返し語られる事柄があり、そこにはクライアント本人も、当たり前過ぎて気付かないような”幸せの種”が意外とたくさん眠っているものである。
僕はその”幸せの種”こそ、良い家創りのために、大切に育てなければならないものだと思っている。
当たり前のものが当たり前にそこにある、まるで空気のような当たり前の”幸せ”は、無くなると意外と息苦い。
僕自身、昨年末に引越しをし、4年間住んでいたアパート暮らしと、生活スタイルが少し変っただけで、なんとも言い表せない不便さを感じた経験をしている。「一軒家に住んでいて、何を贅沢なことを」と自分でも思うが、なかなか馴染めずにもどかしかった。
「当たり前」と言うのは、本当はありがたいものなのだと思う。
でもこれは素敵に飾られた世界では到底見つけることの出来ないもので、目立たず、ごく自然な流れの中にしか存在しないものである。
もっと言えば、素敵な飾りを素敵だと素直に感じれるのは、それを飾ることの出来る壁が、当たり前のようにそこに存在しているからなのである。これが無ければ、飾りを愛でることはおろか、雨風を防ぐことすら出来ない。
僕が思う”幸せの種”とはそんな”壁”の存在のこと、それがあってこそ次の幸せが生まれてくる。
クライアントとの打ち合わせの中で、その種を探し出し、しっかり守っていくのも、設計士としての僕の大事な役割だ。そして、それを見つけるのは”会話”しかない。
繰り返しになるが、だからこそ僕は何気ない”会話”を大切にしている。
笑顔で語られる日常の”会話”の中にこそ、”幸せの種”が眠っているから・・・。
”一般的”という言葉がある。
この言葉の響きに『安心感』を覚える人も多いのではないだろうか。
そして建築の世界には、本当にたくさんの”一般的”が存在する。
僕は昔からこの言葉があまり好きではない。
もちろんその寸法や規格が”一般的”と呼ばれるようになったのには、それなりの理由と実績があってのことだとは理解している。
また、設計士としてその”一般的”というものを、しっかりと把握しておかなければならないことも事実である。
しかし・・・。
マニュアル通りの提案をし、工夫無くプランを進め、”一般的”という当り障りのない枠に、クライアントの想いを納めていくことは、どうしても好きになれない。
そこに、僕が目指す設計士としての姿が見えないからだ。
僕が創りたいのは、”クライアントのための家”であり、”一般的な家”では無い。
クライアントととことん向き合い、クライアントと同じ目線、同じ目標に向かって突き進んでいく。
それこそが僕が目指す設計士としての姿であり、それをしていくことが設計士としての僕の”価値”なのだとも思っている。
そうして追い求めた結果”一般的な家”になったのであれば、それはそれでかまわない。それが”クライアントのための家”なのだから。屁理屈にも読み取れるかもしれないが、僕はこのスタイルを貫いて行きたい。
疲れた時や迷った時、”一般的”というものに逃げたくなることもある。
そんな時は、「目指すものが何であるか」を自分に問いかけ、ズレかけた目標をしっかりと見定めることを心掛けている。
大変な仕事だ。でも楽しい。だからこそ続けていける。
今年もこの思いを胸に、突き進んでいきますので、皆様よろしくお願い致します。
この言葉の響きに『安心感』を覚える人も多いのではないだろうか。
そして建築の世界には、本当にたくさんの”一般的”が存在する。
僕は昔からこの言葉があまり好きではない。
もちろんその寸法や規格が”一般的”と呼ばれるようになったのには、それなりの理由と実績があってのことだとは理解している。
また、設計士としてその”一般的”というものを、しっかりと把握しておかなければならないことも事実である。
しかし・・・。
マニュアル通りの提案をし、工夫無くプランを進め、”一般的”という当り障りのない枠に、クライアントの想いを納めていくことは、どうしても好きになれない。
そこに、僕が目指す設計士としての姿が見えないからだ。
僕が創りたいのは、”クライアントのための家”であり、”一般的な家”では無い。
クライアントととことん向き合い、クライアントと同じ目線、同じ目標に向かって突き進んでいく。
それこそが僕が目指す設計士としての姿であり、それをしていくことが設計士としての僕の”価値”なのだとも思っている。
そうして追い求めた結果”一般的な家”になったのであれば、それはそれでかまわない。それが”クライアントのための家”なのだから。屁理屈にも読み取れるかもしれないが、僕はこのスタイルを貫いて行きたい。
疲れた時や迷った時、”一般的”というものに逃げたくなることもある。
そんな時は、「目指すものが何であるか」を自分に問いかけ、ズレかけた目標をしっかりと見定めることを心掛けている。
大変な仕事だ。でも楽しい。だからこそ続けていける。
今年もこの思いを胸に、突き進んでいきますので、皆様よろしくお願い致します。
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